昭和20年
デコ屋敷は当時広吉氏と彦治の二軒しか本格的に復活していなくほとんどがダルマを作っていたのでダルマ屋敷と呼ばれていました。
彦治の母ノイが三春駒を風呂敷に包んで売り歩いた苦労話が今に伝えられています。
昭和27年
三春町商工会のマークを彦治・勇兄弟が考案し採用され当時の田村新報に掲載され現在も使用されています。
第一回福島県物産展開催(東京三越デパート本店)
彦治と広定氏(広吉の父で広司氏の祖父)が三春駒の制作実演をし好評を博す。
この時広定氏は従来の黒の三春駒を、彦治が初めて「白い三春駒」を製作した。この時三春駒の毛の代用に麻を最初に考案し使用する。
(現在でも三春駒の毛天狗のひげは全てこの麻を使用しています。)
昭和29年
日本で最初の年賀切手に当彦治民芸 九代目橋本彦治作の三春駒が採用される。
昭和30年
高柴デコ屋敷(現郡山市西田町)及び福島県で初めて最初に彦治が張子の12支シリーズを完成させる
「12支の元祖 彦治民芸」
昭和39年
第一回全日本推奨土産品審査会で三春駒認定書を受ける(名誉総裁/通商業大臣 桜内義雄) 秩父の宮妃殿下ご来駕
いぶし三春駒
子連れ三春駒
腰高とらの切手
昭和42年
福島県おみやげコンクール県知事賞受賞 『いぶし三春駒』 第一回
昭和47年
海外初のハワイ福島県物産展開催(彦治がデコ屋敷代表として初めて三春駒を実演する)
昭和49年
福島県おみやげコンクール県知事賞受賞 『子連れ三春駒』(ゆりかご型)第二回
昭和52年
ハワイ福島県物産展開催(彦治の長男高宜が三春駒の実演をする)
昭和53年
福島県で初めて社会教育の一環として各施設で三春駒・張子面・十二支等の絵付体験教室の指導を始める
昭和54年
福島県おみやげコンクール県知事賞受賞 『かま神様』(特大張子面) 第三回
昭和57年
秩父の宮妃殿下ご来駕(彦治民芸の三春駒の製造過程をご高覧腸わりました)
平成10年
十代目橋本高宜(虎歳生)作の腰高とら年賀切手モデルに採用される